1.「いけにえとは何かわからない。いけにえは何のためにあるのかわからない。」
いけにえとは、元々、旧約聖書の時代にはどこの地域でも行われたことです。異教の人々は、ご利益をうけるために神々にいけにえを奉げました。創造主なる神様は、人間の文化を通して真理を教えます。いけにえもその一つです。但し、イスラエルの人々にとってその理由は異教の宗教の理由と違います。まずは創造主なる神様に感謝のいけにえを奉げたのです。そして第二の理由は、自分の罪の購いのために自分が一番大切にしている羊をいけにえとして奉げたのです。罪の報酬は死です。本来は、罪を犯したがゆえに自分が死ななければなりません。それを神様はいけにえという形で人の罪を赦したのです。
2.「イエス・キリストがわたしの罪のために身代わりに死んだという意味がわからない。」
自分の罪の重さを認識しなければ、イエス様の十字架の意味も当然、理解しがたいでしょう。罪の報酬は死と書きました。永遠の死です。つまりわたしたちは罪ゆえに地獄にいく定めとなっていたのです。しかし、天にいらした神の一人子イエス・キリストが人間となられ十字架上で死にわたしたちの身代わりとなって地獄に行ってくれたのです。これが究極のいけにえなのです。わたしたちの罪が赦されるためのいけにえなのです。
3.「なぜイエス・キリストが死ななきゃいけないの?なぜ他の動物ではダメなのかわからない。」
わたしたち罪人である人間を救うためには、神ご自身が犠牲を払わなくてならなかったのです。三位一体の神(父、子、聖霊)の子が人の形をとり私たち人間とのとりなしをして下さったのです。イエス・キリストは100%神であり、100%人間です。わたしたちと同じように誘惑にあい悪魔の標的となり苦しんだのです。だからこそ、キリストはわたしたちの苦しみを父なる神様に訴えとりなしをしてくださるのです。イエス・キリストの十字架によって父なる神はわたしたちの罪をお赦しになり、わたしたちを地獄の道から救ってくださったのです。 繰り返しになりますが、自分の罪の重さ、卑しい心、やましい心、汚い心を自覚しなければイエス様の十字架の重さを知ることは出来ないでしょう。イエス様の十字架はすべての人間にとってターニングポイントです。 新しく生まれ変わるか、そのままの自分でいて思い煩い苦しんで生きるのかのターニングポイントになります。だからぜひ、この点については時間をかけて聖書を読みよく考え頂ければ幸いです。主なる神様が皆様を導いてくださるようにお祈りします。
最終更新日: 2009年2月 6日(金) 02:11 JST|1,421 閲覧件数
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