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宗教は弱い人のためにある?

人間は元々弱い者

昨今、様々な宗教団体が活動を行なっています。 その中には社会問題になった団体がある事は周知の事実です。日本人は宗教的なアレルギーを持っている事実はよく指摘される事です。 100%信じて初詣やお宮参りに行ったりする人は少ないでしょう。これらの宗教的な行いは日本人の文化の一部として根づいているものですし、 習慣のようなものです。

宗教的なアレルギーにもかかわらず、それでも数多くの人たちが新興宗教に走るのはなぜでしょうか。
まず、第一の理由は入信する人たちは何か心に満たされないものが人生にあり、それを満たされたいと宗教団体に入るのでしょう。 「この宗教ならば満たしてくれるに違いない」とか「この人を信じれば大丈夫だ」と思い入信するようです。 人間、誰もが持っている幸福願望のために宗教に入るのではないでしょうか。
第二の理由は恐れです。地獄に行くのが恐いからとか、 死後の世界での裁きが恐いからと言う理由で、宗教団体に参加する人がいます。第三の理由は、この世で生きている間に物質的に恵まれたい と思い宗教に走る人がいます。日本のほとんどの宗教は御利益宗教です。信じれば何か良い事がある、また御布施をすればもっと恵まれる と言ったものです。つまりGive And Takeの関係なわけです。

これらの人は弱いのでしょうか。人間は元々弱いものです。それを弱いと言うのもおかしいのかもしれません。自分ひとりで生きていく事は出来ないのが人間です。自分を信じれば何でも出来ると言っている人でも、実は何らかの形で他の人にお世話になっています。常に何かに頼って生きているのが人間です。子供の頃は親兄弟に頼って育っていきます。大人になれば会社と言う組織に頼って生きていきます。家族に頼って生きていきます。持ちつ持たれつです。宗教に頼るのはこのような例に過ぎませんが、キリスト教には違った側面があります。その辺をもう少し考えてみます。

キリストの教えに従う人の強さ

では、キリスト教の場合はどうでしょう。私はイエス・キリストを信じる事は、宗教ではないと思っています。人間のあるべきすがたをイエス・キリストは教えています。宗教は人間の心を満たそうとして人間によって作られたシステムです。その意味ではキリストの教えは宗教ではありません。 既存のキリスト教と呼ばれるものも人間の手が加えられ、人間が作った組織や規則があり、人間を縛り付けています。

私が言うキリストの教えとはこの様な既存のキリスト教を指してはいません。むしろ、聖書で述べられているキリストの教えを指しています。 そこで「宗教に走る人は弱い人ではないでしょうか」と言う質問をキリストを信じる事に当てはめて、聖書に基づいて考えてみましょう。

質問は「イエス・キリストを信じる人は弱い人でないでしょうか」です。私は聖書に基づいてと書きましたが、聖書を神のことばと信じていないあなたでもキリストの教えを語るためには聖書が必要になります。なぜならキリストの教えは聖書に書かれているからです。つまり聖書なしにキリストまたはキリスト教を語ることは出来ません。 ではそのキリストの教えについて考えてみましょう。

最終更新日: 2009年2月13日(金) 04:45 JST|3,559 閲覧件数

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