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聖書と戦争

 

旧約聖書はどのような位置づけを持っているのか、どれほど重要なのか、旧約聖書をどのように読んだらいいのか、神の御心にかなった読み方はどんなか、神学 的に正しい読み方はあるのか、これらの質問は、旧約聖書の中のある聖句が新約聖書の教えと合意していれば、簡単に答えられると思います。問題は、新約聖書 と相反すると思われるような事が書かれているから、旧約聖書の処理に困ってしまうのです。

そこで、ここでは比較的難しい聖句を2つ選んで、神の御心は何かを考えてみましょう。一つ目は「旧約聖書に記されているイスラエルの戦争」、二つ目は詩篇137篇に出てくる「復讐の祈り」です。  

聖書と戦争

奇しくも中東ではイスラム原理意主義者たちが「ジハード」と言われる「聖戦」を行っています。ある非常に極端なクリスチャングループは、キリスト教徒も武力行使をしてまで悪を倒すべきだと主張します。古くは、中世ヨーロッパの十字軍の遠征があります。

申命記20章1節-4節、10節-18節を読んでみましょう。

あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導き上られたあなたの神、主が共におられるからである。いよいよ戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない。「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」・・・ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。

ここで神は「その町の男をみな、剣の刃で打ちなさい。・・・息のある者をひとりも生かしておいてはならない」と命じています。このような聖句をどのように 解釈して適応したらいいのでしょうか。このような難しい聖句は無視するのでしょうか。旧約の神は新約の神とは違うと解釈するのでしょうか。それとも、神の みとことばとして受け入れるのでしょうか。その根拠はどこにあるのでしょうか。  

創世記15章16節、申命記9章1節-5節を読んでみましょう。

 主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」(創世記15章16節)

聞け、イスラエルよ。あなたは今日、ヨルダン川を渡り、行ってあなたよりも大きく強い国々を追い払おうとしている。町々は大きく、城壁は天に達し、民は、あなたの知っているアナクの子孫で、大きくて背が高い。あなたは、「誰がアナクの子孫に立ち向かいえようか」というのを聞いたことがあろう。しかし、今日、あなたの神、主は焼き尽くす火となり、あなたに先立って渡り、彼らを滅ぼしてあなたの前に屈服させられることを知り、主が言われたとおり、彼らを追い払い、速やかに滅ぼしなさい。あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは、「わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった」と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。(申命記9章1節ー5節)

これらの国々は、その罪ゆえに裁かれたのです。問題は、私たちが、物理的な命は、霊的な命「どのように生きるか」よりも大事だと考えることにあるのではな いでしょうか。たとえば金槌。金槌は釘を打つのに便利で重宝するものです。しかし、その使い方を間違えれば大変な凶器になります。そのような凶器を使い方 を知らない人に与えるでしょうか。人間の命も同様で、使い方を知らない人には何らかの形で神の裁きがあるという事です。

すべて旧約聖書で起きたことは、神の支配の中にあり主イエス・キリストの計画が成就するために神の御心のうちに起きたのです。では、この神の命令から習う ことはないのでしょうか。申命記20章3節ー4節にあります。これは主の戦いなのです。ヨシュア1章6節、2テモテ2章1節-4節、を読んでみましょう。 「主にあって強くありなさい」というメッセージは今も変わりません。主が戦ってくださっている事実は今も変わらないわけです。 しかし、新しい契約下では、戦いの性質が違うのです。 ヘブル12章18節-24節、エペソ6章10節ー18節を読んでみましょう。 私たちの戦いは物質的な戦いではありません。むしろ霊的な戦いです。私たちが求めているのは物質的な王国ではなく、霊的な王国です。神の支配がある王国で す。

最終更新日: 2009年2月 4日(水) 17:27 JST|926 閲覧件数

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