まずイザヤ44章6節-20節を 読んでみましょう。 私たちが信じます神は、時代を超えた、時を越えた永遠の方です。始めであり、終わりです。このお方は、天地万物が創造された初めを知り、すべての過去を知 り、現在、そしてすべての未来を知っている方です。そして、過去、現在、未来と変わらない聖なる愛に満ちた方なのです。 12節以降は、さらに偶像礼拝の愚かさを説明していますが、日本人に非常に関わりが深い偶像礼拝について考えてみましょう。
ヨハネ4章24節では、主イエス・キリストは「神は霊です」と言っています。 この言葉から分かることは、神様は目に見える物質ではないこと、無論、物質で現すことなどできないのです。だから偶像礼拝は良くないのです。偶像礼拝と は、結局、自分で造ったものを自分で拝んでいるわけです。自分を拝んでいるのと同じですね。これも少し考えれば滑稽に思えてきますが、長年培った生活の慣 習ですから愚かさにもなかなか気づかないのかもしれません。 神が霊であるということは、神様の働きも霊的、つまり物質に束縛されないということです。しかし、神は物質、つまり創造された世界、宇宙を通して神様の栄 光と知恵を示されています。 私が幼少の頃ですね、山に行ったんです。何もないところです。真っ暗な所です。今では町の照明が多すぎて星が見えないのは残念ですね。実際、真っ暗だと、 星って良く見えるんです。まだ大気汚染もなかったから、空も澄み切っていました。空を見上げると星が幾万とあるのです。今にも落ちてきそうです。空は澄み 切っていますから、自分の手で触れるような気さえしました。もちろん、私は聖書も何も読んだことはありませんでしたが、このような自然はどうしてあるんだ ろうか、何ときれいなんだろうと、漠然とですが、思っていました。今、考えれば創造主なる神様の創造のわざに驚いていただけなんですが、、、。
申命記4章15節―19節 を 読んでみます。 申命記4章15節―19節によれば、主なる神がお造りなった自然は、全天下の国々ために与えられました。この自然によって、私たちは、4つの季節を楽し み、四季折々の景色や花を楽しみことが出来るのです。こんな自然からも神の聖なる愛を感じることが出来るはずなんです。
しかし、日本文化の土壌は、主なる神が造ってくれた自然と一体となることにあるのではないかと私は常々思っています。たとえば、松尾芭蕉の俳句に 「古池や 蛙(かわず)とびこむ 水の音」があります。もう一つ有名な俳句に「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」があります。 私は人が書いた俳句を読むのが好きですが、自分で書くでもなく、評論家でも何でもないので良くわかりませんが、こんな俳句からも、人間が自然と一体となる 心地よさが聞こえてきそうです。 たとえば、日本人は、桜を見て、人生の儚さを感じるわけです。ぱっと咲いてぱっと散っていくところに自分の人生を照らし合わせるわけです。アメリカ人が同 じ桜を見てもそんなことは考えません。花火にも似たようなところがあります。アメリカ人はドンと上がった瞬間が好きなんですが、日本人は違います。ドンと あがって消えていくところに何か憂いというか、寂しさを覚えるわけです。 このような日本人独特の情緒は大切にしていくべきだと思いますが、日本では、この自然との一体感がさらに一歩進んで自然崇拝になってしまったわけです。有 名な山に行けばご神木なるものがあります。または、山奥の道にお地蔵さんがいれば、寂しいだろうといってお菓子を置いていくといった具合にです。 私たちが信じている神は、そのような偶像で表せれる、自然の中に造られたもので現せるような方ではありません。
ではこの聖なる神についてもっと学んでみましょう。 詩篇136篇1節を読んでみましょう。 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」 出エジプト記34章6節-7節では 「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむき と罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」 主なる神は哀れみに富み、私たち人間を愛してくださっています。人を憎まず罪を憎む神は、私たちの罪を赦してくださる聖なる神なのです。ここに創造主なる 神の本質、聖なる愛があります。これは ちなみに出エジプト記の「罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に四代に。」この最後の部分は、罪がどれほど次の世代まで影響す るかを神は警告を与えているのです。つまり、だから罪を犯さないようにしなさいと諭しているのです。
最終更新日: 2009年2月 4日(水) 16:42 JST|877 閲覧件数
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