旧約聖書で次のように書かれています。
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章4節)
神は唯一です。神々、仏像と呼ばれる物は人間の産物に過ぎません。霊的な力などないのです。ただ悪魔の力によって動かされる場合もあるでしょう。
三位一体という言葉自体、政治で「三位一体の改革」と使われるまで一般には聞きなれない言葉であったでしょう。聖書が教える「三位一体の神」とはどんな意味でしょうか。
神は唯一です。しかし、その中に違った役割をもった父なる神、子なる神、聖霊なる神がいらっしゃるので す。三位一体の神は一心同体の関係です。父なる神とイエス様は一心同体の関係です。父なる神が命令するとおりに子なる神が行うのです。父なる神は、すべて を一人子であるイエス様に委ねたのです。イエス様ご自身、「父なる神の命令がなければ何もわたしは出来ない」と明言しています。
ヨハネ1章1節ー5節を読んでみましょう。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
イエス様は、天からくだり人となる前は、三位一体の神として天地万物を創造されたのです。上記の聖句のことばとは、一人子イエス様を指しているのです。ヨハネ1章14節が示すように、ことばは人となって人の間に住まわれたのです。ヨハネ14章1節ー13節を 読みましょう。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
この聖句が示すとおり、イエス様と父なる神は一心同体の関係です。また聖霊なる神とも同様に一心同体の関係を持っているのです。三位一体の 神(父なる神、子なる神、聖霊なる神)は同じ目的、同じ心をもった一心同体の神であります。お互いに信頼してお互いに役割を委ねたのです。父なる神は、イ エス様によって栄光を受け、またその逆にイエス様は神によって栄光を受けたのです。イエス様はご自分の栄光を求めませんでした。(ヨハネ8章48節ー58 節、13章31節ー32節)聖霊なる神はイエス様に栄光を奉げました。(ヨハネ14章25節ー31節、16章7節、12節ー15節)このように、お互いに 信頼関係を持つ関係、違った役割を持ちお互いに委ねる関係を三位一体の神はお持ちなのです。
三位一体の神は、私たち人間を創造される時、「我々にかたどり、我々に似せて」と言いました。三位一体の神の共同体を指して「我々」と言ったのです。つま り、神に似せて造られた人間にもこの信頼関係が確立されるようにとされたのです。ところが人間は堕落してしまったのです。お互いの信頼関係を崩しお互いを 傷つけるようになってしまったのです。
霊的な三位一体の神を、物質的なもので例えて説明するのは無理だと思いますが、敢えていえばリンゴを見てください。リンゴには皮があります。実があります。芯があります。それぞれがリンゴの部分です。
家族にもこの三位一体の信頼関係を求めているのです。父、母、子供は同じ名字をもっています。お互いにその名字を代表しているのです。一人が栄誉を受ければ他の家族のメンバーも栄誉を受けます。そのような関係を三位一体の神は私たちに求めているのです。
最終更新日: 2009年2月 6日(金) 16:24 JST|1,364 閲覧件数
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