メニューをスキップして本文へ


ここから本文

偶像礼拝

偶像礼拝は、古今東西、どこにでもあります。人間は造られたものを、たとえば太陽、星、木々、山を拝むようになったのです。それらを造った方を拝まないで 造られた物を拝むのはおかしな話です。懐中電灯を借りて懐中電灯にお礼を言うでしょうか。むしろ懐中電灯を貸してくれた人にお礼を言いませんか。申命記4章16節ー19節を読みましょう。

堕落して、自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。男や女の形も、地上のいかなる獣の形も、空を飛ぶ翼のあるいかなる鳥の形も、地上を這ういかなる動物の形も、地下の海に住むいかなる魚の形も。また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである。

真実なる神は生きておられます。すべてを目的をもって創造されました。私たち人間も神のかたちとして造られたのです。本来、その神を畏れ敬うのが私たち人間の務めなのです。イザヤ44章9節ー20節を読みましょう。

偶像を形づくる者は皆、無力で/彼らが慕うものも役に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける。無力な神を造り/役に立たない偶像を鋳る者はすべてその仲間と共に恥を受ける。職人も皆、人間にすぎず/皆集まって立ち、恐れ、恥を受ける。鉄工は金槌と炭火を使って仕事をする。槌でたたいて形を造り、強い腕を振るって働くが/飢えれば力も減り、水を飲まなければ疲れる。木工は寸法を計り、石筆で図を描き/のみで削り、コンパスで図を描き/人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り/神殿に置く。彼は林の中で力を尽くし/樅を切り、柏や樫の木を選び/また、樅の木を植え、雨が育てるのを待つ。木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め/一部を燃やしてパンを焼き/その木で神を造ってそれにひれ伏し/木像に仕立ててそれを拝むのか。また、木材の半分を燃やして火にし/肉を食べようとしてその半分の上であぶり/食べ飽きて身が温まると/「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。残りの木で神を、自分のための偶像を造り/ひれ伏して拝み、祈って言う。「お救いください、あなたはわたしの神」と。彼らは悟ることもなく、理解することもない。目はふさがれていて見えず/心もふさがれていて、目覚めることはない。反省することもなく、知識も英知もなく/「わたしは半分を燃やして火にし/その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。残りの木で忌むべきものを造ったり/木の切れ端を拝んだりできようか」とは言わない。彼は灰を食らい/惑わされた心は、その道を誤らせる。彼は自分の魂を救うことができず/「わたしの右の手にあるのは偽りではないか」とすら言わない。

偶像礼拝とは自分で造った物を拝むのです。自分自身を拝んでいるとはいえないでしょうか。偶像には何の力もありません。あたかも力があるかのように人は言いますが、しかしそれは悪魔によって騙されているのです。真の神を信じましょう。

最終更新日: 2009年2月 6日(金) 16:21 JST|1,295 閲覧件数

表示形式
コメント投稿

コメントは投稿者の責任においてなされるものであり、サイト管理者は責任を負いません。

サブメニュー1をスキップしてサブメニュー2へ

Events

-

ログイン

ログイン

Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2010年 08月
«
»
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

無料聖書通信講座

スカイプを使います。詳しくはここをクリック 初心者でもよくわかる無料聖書通信講座です。気軽に申し込んでくださいね。

QRコード

QR code

ここからサブメニュー2

サブメニュー2をスキップしてフッタへ


ここからフッタ