信仰の定義

信仰の定義は何でしょうか。
イエス・キリストを信じるとはどんな意味でしょうか。
信仰の意味は何でしょうか。
イエス・キリストを信じましょう。

人間の罪

はじめに
神の愛と人間の罪
罪の概念
罪の本質
罪の奴隷

信仰

はじめに
人間の心ー信仰と疑い
イエス・キリストを信じる
信仰の定義
私の初めの信仰
クリスチャンの信仰
アブラハムの信仰からあなたへ
従順な信仰

悔い改め

はじめに
悔い改めの意味
悔い改めの具体例

バプテスマ

はじめに
神が制定したバプテスマ
バプテスマの意味
クリスチャンと十字架
十字架とバプテスマの関係
バプテスマの例


関連ページ
旧約聖書、神の計画

信仰の定義

神の存在は被造物をとおして明らかですし、人は神を唯一の神として信じるべきです。しかし、それでも、多くの人たちが頑固にも信じません。「信じる」ことを聖書的なことばで言うと信仰です。見るから信じるのでは、イエスが教えている信仰とは言えません。では信じること(信仰)とは、どういうことなのか考えてみましょう。
ヘブル11章1節、6節を読んでみましょう。

 信仰の定義は、聖書が書かれた数千年も前から変わっていません。この聖句が書かれたのも2000年ほど前ですが、あえてこのように著者が書いたのには理由があります。1世紀の時代の人たちも、目で見なければ信じなかったのです。 十字架における死から復活した後、(イエスの十字架における死については次回の講座で説明します)イエスは弟子たちと話しをしていました。しかし、ある1人の弟子だけが、復活したイエスと会っていなかったのです。その記述が次の様にされています。ヨハネ20章24節ー29節を読んでみましょう。  多くの人たちも、トマスと同じように頑固な考え方をもって、イエスを信じないでいます。

イエス・キリストを信じる意味

イエス・キリストを信じる ここで最後のまとめとして、イエス・キリストを信じるとはどういうことなのか、マタイ11章28節ー29節を読んで考えてみましょう。

この世で生きている限り、私たちは罪ゆえに(罪について次回の講座で説明します)多くの重荷を負っています。時としてそれらの重荷は、耐え切れない重荷のように思える時があります。自分で自分を苦しませている重荷があります。そして生活に疲れ果ててしまうのです。毎日の通勤電車を見ればわかります。 通勤者の目がつかれています。急いではいますが、さっそうと歩いている人はほとんどいません。そんな私たちにイエスが呼びかけています。これはイエスの招待状です。イエスが私たちに心の安らぎを与えてくれるというのです。つまりイエスは、私たちの心の苦しみや人生の重荷を軽くしてくれる救い主なのです。

これが第一のイエスを信じるという意味です。ただし、これには条件があります。イエスから学ぶ必要があります。イエスは人生における先生です。どのように生きるべきかを教えてくれる師であり主です。私たちはイエスの弟子なのです。これが第二のイエスを信じるという意味です。