人生をやり直す前に
人生の軸足をどこに置くか
哲学者たちの考え
五木寛之氏の「人生の目的」
本の紹介本の結論
わたしの批評
聖書、イエス・キリストが教える人生の目的
人の価値神に似せられた者として
キリストのために生きる
神の国と義を求めて生きる
世の光、地の塩として
空しさから神の恵みへ
神のために生きる
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。(2コリント5章15節)
人は誰でも自分自身が正しいと思い、自分のために生きていきます。それは人生そのものがその人のものだと考えているからでしょう。自分の利益を求め自分の人生の目的を捜し求めて生きていくのは、ごく自然といわれるでしょう。
しかし、ここに人間の過ちがあるのです。自分自身を正しいと考えること、そして自分自身のために生きていこうとする自己中心的な態度、自分の人生だから自分の好きなことを出来るはずだという思い込み・・・など、すべて人間が陥りやすい罪なのです。本来、命は誰から頂いたのでしょうか。親からと答える方がいらっしゃるかと思いますが、実は命は創造主なる神から頂いているのです。ところが人間は自分自身の名誉、名声を求めて神の教えに背いたのです。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10章35節ー45節)
イエス・キリストは弟子たちの態度と考え方をたしなめます。神に仕え人に仕えることこそ人生の本来の姿であると教えています。イエス・キリストは人間の自己中心的な考え方をくつがえし、神に仕えて人々に仕えることを自らなさったのです。その究極のわざがイエス・キリストの十字架なのです。イエス・キリストは、私たちのような愚かな者たちのために、自らすすんで恥をさらし私たちの身代わりになって十字架上で死なれました。
この方が十字架にかけられ死んだ目的は、わたしたち人間がもはや自分自身のために生きるのではなくて、主イエス・キリストのために生きるようにされることです。
もしあなたが生きる目的を探しているのなら、すぐそばにあるのです。主イエス・キリストが与えてくださいます。