偶像礼拝

戦争をどのように解釈すべきでしょうか。
旧約聖書の戦争はどんな意味があるのでしょうか。
イエス・キリストの教え、敵を愛しなさいと矛盾してないでしょうか。

 創造主なる神と日本人の偶像礼拝、

申命記4章15節―19節 を読んでみます。 申命記4章15節―19節によれば、主なる神がお造りなった自然は、全天下の国々ために与えられました。この自然によって、私たちは、4つの季節を楽しみ、四季折々の景色や花を楽しみことが出来るのです。こんな自然からも神の聖なる愛を感じることが出来るはずなんです。

しかし、日本文化の土壌は、主なる神が造ってくれた自然と一体となることにあるのではないかと私は常々思っています。たとえば、松尾芭蕉の俳句に 「古池や 蛙(かわず)とびこむ 水の音」があります。もう一つ有名な俳句に「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」があります。 私は人が書いた俳句を読むのが好きですが、自分で書くでもなく、評論家でも何でもないので良くわかりませんが、こんな俳句からも、人間が自然と一体となる心地よさが聞こえてきそうです。 たとえば、日本人は、桜を見て、人生の儚さを感じるわけです。ぱっと咲いてぱっと散っていくところに自分の人生を照らし合わせるわけです。アメリカ人が同じ桜を見てもそんなことは考えません。花火にも似たようなところがあります。アメリカ人はドンと上がった瞬間が好きなんですが、日本人は違います。ドンとあがって消えていくところに何か憂いというか、寂しさを覚えるわけです。 このような日本人独特の情緒は大切にしていくべきだと思いますが、日本では、この自然との一体感がさらに一歩進んで自然崇拝になってしまったわけです。有名な山に行けばご神木なるものがあります。または、山奥の道にお地蔵さんがいれば、寂しいだろうといってお菓子を置いていくといった具合にです。 私たちが信じている神は、そのような偶像で表せれる、自然の中に造られたもので現せるような方ではありません。  

ではこの聖なる神についてもっと学んでみましょう。 詩篇136篇1節を読んでみましょう。 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」 出エジプト記34章6節−7節では 「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」 主なる神は哀れみに富み、私たち人間を愛してくださっています。人を憎まず罪を憎む神は、私たちの罪を赦してくださる聖なる神なのです。ここに創造主なる神の本質、聖なる愛があります。これは ちなみに出エジプト記の「罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に四代に。」この最後の部分は、罪がどれほど次の世代まで影響するかを神は警告を与えているのです。つまり、だから罪を犯さないようにしなさいと諭しているのです。