創造主なる神の社会問題と同性愛
スタートレックのある俳優が実は同性愛者でカリフォルニアで結婚したという記事を読みました。あの番組は(旧いバージョンと新しいバージョンとも)よく見ていたのでちょっとビックリしました。ビックリしないのは米国カリフォルニア州で同性婚が認められていることです。サンフランシスコは同性愛のメッカとも言うべきところですから。
同性愛を行っている人々は、「同性愛は変体でもないし病気でもない。一人間の個性だと思う」とおしゃっています。私も同感だと思います。しかし個性は必ずしも良い方向に人を導きません。怒りっぽい人、短気な人たちが、ほんの些細な事で人に怪我をさせてしまったり、最悪の場合、殺人まで犯してしまうのです。

神は、私たちを自由意志のないロボットのようにではなく、むしろ自分自身のために生き方を選べる自由意志をもった人間として創造されました。神の計画における男女の関係は、本来、男と女が愛し合い支えあうことでした。同性愛は、神の計画から逸脱したものです。その意味で、同性愛は、この世または悪魔によって騙された人間の罪でしかありません。(ローマ1章26節ー28節)
かといって、異性愛は全部、OKということではありません。異性愛にも同様に罪が存在します。結婚前のセックス、不倫、売春、ホステスと男性客の関係、ホストと女性客の関係など様々な形で、人間の性は神の計画から離れていってしまっています。
私の友人にも同姓にだけ魅力を感じる方が幾人かいます。しかし彼らは、神を信じて、同性愛が神のみこころにかなったものではない事を知っています。ゆえに、毎日が誘惑との戦いなのです。同性愛的な人たちだけが、誘惑と戦っているのではありません。私のように異性に魅力を感じる者も、同様に神が計画した以外の男女関係に陥らないように(たとえば不倫や情欲を抱いて女性を見るなど)、悪魔の誘惑と戦っているのです。
同性愛の方々の主張、たとえば「同性愛者に対して偏見を持って欲しくない」は正しい主張だと思います。異性愛者も同性愛者も、誘惑という面では誘惑の対象は違いますが、同等だからです。異性愛者の性的な罪は、同性愛者の罪より軽いということはありません。罪は神の御前ですべて同等に罪です。
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