(1) 自分の人生を否定される。
(2)束縛されると思ってしまう。
(3)結局は自分に頼るしかないと考える。
(4)親、親戚を裏切れない。
(5)友達と付き合いが出来なくなってしまう。
(6)信じることに恐れを覚える。騙されるのがイヤだ。
(7)既存の宗教団体に縛られるのはイヤだ。
(2)束縛されると思ってしまう。
(3)結局は自分に頼るしかないと考える。
(4)親、親戚を裏切れない。
(5)友達と付き合いが出来なくなってしまう。
(6)信じることに恐れを覚える。騙されるのがイヤだ。
(7)既存の宗教団体に縛られるのはイヤだ。
自分の人生を否定されると考える人へ、
ある中小企業の社長とわたしは数年前に聖書を学んでいました。その方はフィリピン人の女性にほれ込んでしまい毎月のように数十万円のお金を彼女に渡していたのです。それを聖書を学んでいる間に知りました。いろいろそのことについては話し合いました。「そのようなことは止めた方がいい。」彼は騙されていると知りつつもお金を貢いでその関係を続けたのです。そんな理由でその会社も倒産していまいました。この方はプライド高き人でした。次の聖句を読んだ時に彼はジーンときて涙を流したのです。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28節ー30節)
学びは続きました。電話で一時間以上話すことも時々ありました。彼の信仰も芽生え始めていました。そこで次の聖句をいっしょに読みました。
イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9章21節ー25節)
これをいっしょに読んだ時に彼に衝撃が走りました。自分の人生が否定されていると感じたのです。しかしこれはまったくの誤解なのです。イエス様についていくということは、新しく生まれるということですから、今まで生きてきた人生の基準を変えてイエス様の基準に沿って生きていくことなのです。彼の人格、人生そのものを否定する物では決してありません。イエス様は、わたしたちのそのままを受け入れてくださいます。
この方は自分の高きプライドを捨てきれなかったのです。イエス様の愛を素直に受けることが出来なかったのです。自分の人生、過去をそのまま受け入れてくださるイエス様の愛を知ることはありませんでした。
結果的に彼のプライド、自負心が邪魔をしてクリスチャンになりませんでした。今でもわたしは彼を思い出します。神様が彼を守ってくださいますように。