なぜクリスチャンになったのか

クリスチャンの信仰告白です。
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なぜクリスチャンになったか(東京都青梅市、40代、男性、会社員、匿名)

人生の方程式を求めて(東京都福生市、40代、男性、 伝道者、野々垣 正信)

隣人になりたい(茨城県、20代、女性、学生、三富 睦子)

人生はよい出会いによって決まる(茨城県 70代 男性 定年退職 相澤 潤二

私でもクリスチャンになれた( 東京都八王子市 50代 女性、 医師、匿名)

なぜクリスチャンになったか( 神奈川県横浜市70代男性定年退職匿名)

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創造主(神)の恵みによって導かれていたと気付く事が遅かった。 私が頂いたその恵み(神の愛)について。


 私は昭和5年岩手県生れ、異父兄弟7人の中の六番目、私が人生について考えるようになったのは、第二次世界大戦・終戦の日、昭和20年8月15日からです。
 
子供の頃は戦時教育のもとで育ちました。学校の教育方針・先生の教えをそのまま信じておりましたが、終戦の日を迎えた時、こんなはずでなかった?と、人生の壁・心の壁に突き当たりました。これから先どうなるのだろう?……。(ここで強制された戦時教育の善し悪しは別として)目標のなくなった人生に疑問をもち、教育にも疑いを持ちました。自分の両親以上に尊敬し、信頼していた学校の先生に、「偽りの教育」を強いられていたと思うとそれはそれは悔しかった。

 当時私は、担任の先生が子供達の将来のためと言って一生懸命指導して下さっていると信じていた。あまりの悔しさと失望のあまり、何故このような事が起こったかを、時代をさかのぼって自分の心の中で追究しました。学校の先生を責め、文部省の教育方針を責め、国家の政策を責め、社会の責任を責めた時、先生は文部省の指示と責任を逃れ、文部省は国家の政策指導指示によると責任を逃れ、では国家とは何ですか?と問うた時国家とは社会・人の寄り集まりでないか、その人の集まりには自分も入るではないか、自分が人生について何も分からないように人間には人生の未来について何も分からないのだ…と、自問自答した時、得られたものは、人は人生のあるべき真の「人の生きる道」を知らないのだという結論に達しました。なぜなら、ここに五本の指が私に有るのは両親が定めたのではなく、誰かが定められた。人間は造られたもので人生の創造主でないからです。人間には初めがあり・終りがあり、未来について断言できるはずがない。

 私は建築業を営む者ですから、建築工事に例えて申し上げるなら、工事を進めていく時、設計者だけが、その計画・目的・意義・今どう工事を進めるべきかが分かります。同様に人間を創造された創造主「神様」だけが人生の目的・意義・あるべき姿が分かります。私達人間は等しく造られたもので、聖なる人間でもありません、人生の設計者でもありません。従って真実・間違いない人の生きる道・生き甲斐ある人生を歩みたく願う人は、設計者・創造主「神様」に聞く事が必ず必要になります。私達一人ひとりその事を何よりも大切に最重要視しているでしょうか?
「したがって信仰は聞くことによる のであり、聞くことはキリストの言葉からくるのである」(ローマ書10章17節)
と聖書に書いてある通りです。

 話は前後しますが、戦争が終わった時、戦争のため経済が圧迫され、特に食生活に事欠くような時代の歩みの中で、私が15歳の時、昭和21年父が46歳で病死、同年次の兄・戦死の公報が入り、24年には長男・兄の病死と、数年の内に三人の死と直面した時、人は誰でも生きる事に一生懸命であるのに、何故?何故?人生に「死」があるのだろうと、悲しみのあまり深刻に考えさせられました。

 その「死」と「生」について語れる方を捜そうと思いました。その答えをなんとしても捜そう、自分もいつの日か死ぬのだ。もし人生の究極意義目的が「死」であるなら、今死んでも良いはずではないか、目的が達せられるのだから。だが人は唯一人「死」を喜ぶ人はないでしよう。身近なところに「死」が迫らなければ、人は何万年も生きる、「死」と関係がないといった顔で生活しているように見られます。私自身がそうでした。けれども身内の者の「死」と直面した時、「心から溢れ出る涙は真実で偽りがない」。ならばなぜ悲しむのかと自問自答した時、「死」と「生」とは相入れない法則「定め」にある事を感じました。

何故? 何故?でしよう? どこに尋ねたら判るでしよう、捜さなければ自分自身がみじめである。自分の将来に最も恐ろしく悲しい「死」が迫りくる事を知りながら、何の解決・打開策も考えないとしたら、万物の霊長と言われている人間のあるべき本当の姿なのだろうか?……と、真剣に考えさせられ、何年要しても捜そうと思いました。日常の生活苦に追われ、空しく生き甲斐もなく人生の意義目的って何んだろう?と。けれどもその答えを人間から得ようと思いませんでした。なぜなら信頼し尊敬していた学校の先生にだまされた思いがあり、私は人間を信じられませんでした。人間不信の思いでした。

 私は父の死後、母と共に家の諸問題すべてにかかわる立場にありましたので、生活苦や精神的にも肉体的にも苦労しました。戦後日本のすべての人びとが同じ苦労していた時代でした。
「すべて重荷を負うて苦労している 者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませて上げよう。わたしは柔和で心のへりくだった者で あるから、わたしに学びなさい。 そうすれば、あなたがたの魂に休 みが与えられるであろう。」(マタイによる福音書11章28〜29節)

 家庭の重荷・私自身の重荷のため、私の魂は安らぎを捜し求めておりました頃、昭和33年8月、聖書に導かれ、横浜市にある野毛山キリストの教会において繁国良八牧師のもとで、リチャード・バケット先生による五日間に渡る、伝道集会に導かれました。その伝道集会には、私が長い間「人の生きる道」人生について疑問に思う問題の回答が事前に用意されていたことを通し、
 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す 者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」(マタイによる福音書7章7〜8)
と、聖書の言葉通り真実である事を知らされました。私はこう思ったのです。私は肉眼で神を見ることないが、神は私の心のうちのすべてを見て下さり聖書に、教会に導いて下さったと悟り、信じました。

 眼に見えないものを信じることは「信仰」によると、聖書にあります。創造主神様の言葉である聖書の御言葉を信じる人に、喜びがあり、赦しがあり、救いがあり、平安があり、感謝があり、希望があり、キリストの愛の中にとどまります。私は心の内を誰にも話したことはなかったが心の内に願った数々の事が実現しているのです。そして伝道集会第二日にイエス・キリストを我が人生の救い主と信じ、バプテスマ(洗礼)を受けました。ハレルヤ。

「イエスは言われた、わたしは道で あり、真理であり、命である」。(ヨハネによる福音書?章6節)
また、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」(ヨハネによる福音書11章25〜26節)
と、私達に問うておられます。教会に来て第一に感じたことはもっと早く来ると良かったと思いました。終戦の日からここまでにたどり着くのに13年要しました。

 難問だった「何故・人生に死があるのか」が判りました。教会に来なかった理由は聖書を見たことがなかったことと、人の教えであると思っていたこと。だが、神が人間を哀れみ人々を愛する愛の故に、「神」が人間の姿をとって救い主として来られているので、同じ人間に見え、人間の作った教えと、創造主・神からの真の救い主との違いが聖書を読まなければ信じられなかったのです。よって福音書である人生の設計図書・聖書を読むことがいかに大切であるかを痛切に感じます。

 工事の例えに戻りますが、あなたもわたしも神に愛され、神に似せて造られた最も尊い優秀な人生工事技術者の一人一人です。設計者の計画に聞き従い、(縮尺された建築図面を注意深く見るように)聖書に尋ね、良き神の国建設工事に励むことが大切です。それが人生の生き甲斐となり、尽きることのない人生の喜びとなり、感謝となります。
『万物の創造主・愛なる神は、ほむべきかな』。

 ※2001年12月27日、
  横浜市在住、71歳、  
  野毛山キリストの教会