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伊藤 葵(あおい)
私は、物心がついてからずっと自分が嫌いでした。自分を受け入れられず、自分は無価値でだめな人間だといつも感じていました。特に中学校に入ってからは、家族や友達との関係でいつも悩んでいました。いつも心の奥に、他人から拒否されることへの不安と恐れがありました。人に好かれようとがんばるのですが、自分が自分のことを嫌いなのに、他人を本当に好きになるのは無理なことです。だからいつも自分は偽善者だと感じ、自分を責め続けていました。ただ毎日が苦痛で仕方なく、中学生の頃から「疲れた」「死にたい」が口癖でした。「生きている」という感じがなく、死んだように生きていたと思います。それは大学に入ってからも続きました。大学に入ってからは、さらに落ち込みが激しくなり、一度悩み始めるとどこまでも気分が落ち込み、息をすることも苦痛だったことがありました。今でも、自宅に帰るために電車に乗りながら、いろいろな人に囲まれた時、その中で一番自分が価値のない人間だと感じ、羞恥心でいっぱいになったことを思い出すことができます。いつか自殺するだろうという不安はいつもあり、薬をたくさん飲んで死のうとしたこともありました。でも、そんな状態にあっても私が生きていられたのは、今から思えばすべて神様のお導きだったのです。
私は現在、茨城キリスト教大学に在学していますが、それもまったくの巡り合わせで、家族の都合で東京の大学に進学することができなかったからでした。それまで私はまったくと言って良いほどクリスチャンの人々との交流はありませんでした。大学では、授業で必要なので必ず聖書を買わなければなりませんでした。それがきっかけで、悩んだときに少し聖書を読むことをはじめました。教会のEnglish
Bible Classで聖書の勉強もはじめましたが、最初はあくまで英語を学ぶのが目的でした。そのときも、私の死んだような状態はずっと続いていました。それを変えたのが今年の6月から7月にかけての人間関係のハードさでした。そのときにいかに自分が弱い人間かを思い知らされ、また他人にここまで傷つけられてしまう自分に不安を感じました。こんなに簡単に人から傷つけられてしまうのでは、遅かれ早かれ私はいつか自分が生きることを諦めてしまうだろう、と確信したのです。しかし同じ時期に、教会で個人的に神様の愛について教わっていたので、例え、世界中の人に否定され、傷つけられても神様だけは私を愛してくださるという希望をもつことができました。神様のあたたかい愛を感じたときに、洗礼を受けようと決めました。全くといっていいほど聖書の知識はありませんでしたが、こんな私をも愛してくださる神様に感謝をしたかったのです。
洗礼を受けるにあたって、まったく不安がなかったといえば嘘になります。洗礼とは、神様と私の関係を強固にするためのものだと受け取っていたのですが、洗礼後に、神様は私にすばらしいクリスチャンファミリーを与えてくださいました。皆さんがこんなに未熟な信仰をも大切にしてくださることに本当に感謝しています。洗礼を受けてからしばらくは私の内側の変化に気づきませんでしたが、あれから4ヶ月たち、その変化に気づくことがよくあります。まず以前ほど深く落ち込むことがなくなりました。例え落ち込んでも、いまは神様の愛という大きな土台があり、以前のように底なしだと感じることがなくなりました。自分を無価値だとも思えなくなりました。神様のご意志で私をこのように作ってくださったのに、そんな風に自分を低めるのは神様に対して申し訳ないと思うようになったのです。
私は今決して、死んだようではなく、希望をもち、神様の愛を感じながら生きています。 伊藤 葵(福島県在住、1979年生、大学3年、2000年7月バプテスマを受ける)