クリスチャン

クリスチャンの信仰告白です。
福音を聞いた人たちの物語です。
イエス・キリストに出会い人生が変わった人たちの物語です。
福音によって生き返った私 (福島県、20代女性、学生、伊藤 葵)

なぜクリスチャンになったか(東京都青梅市、40代、男性、会社員、匿名)

人生の方程式を求めて(東京都福生市、40代、男性、 伝道者、野々垣 正信)

隣人になりたい(茨城県、20代、女性、学生、三富 睦子)

人生はよい出会いによって決まる(茨城県 70代 男性 定年退職 相澤 潤二

私でもクリスチャンになれた( 東京都八王子市 50代 女性、 医師、匿名)

なぜクリスチャンになったか( 神奈川県横浜市70代男性定年退職匿名)

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神の救いの計画

人生はよい出会いによって決まる

水戸袴塚キリストの教会 相 澤 潤 二

「昭和20年8月、終戦のあの静かなとき、隣のクリスチャン平田姉が貸してくれた賀川豊彦の伝記の印象が私の心を離れず、帰国後の教会生活の原点となった。」 私は昭和5年1月31日、今の北朝鮮平安南道鎮南浦市で生まれました。
 昭和20年8月15日の終戦の日は、平壌第一中学3年で、市内の中学3年以上の学生が、山中の飛行場建設作業に動員され、百日の突貫工事を完成し、夏休みのときでした。先生は「この戦いで我々は科学で敗れたのだ。」と唇をかんだのを思い出します。朝鮮は38度線で南北に分断され、満州、中国は蒋介石と中共が支配することになり、支配権が確立するまで空白の時代に、満州から日本人がリュック一つに、子供を背負って南下してきました。平壌はその通路で、大量の難民であふれていました。まもなく私たちも官舎が接収され、平壌の知人の二階の一室に三所帯が疎開しました。ロシヤ軍が進駐してくるまでのわずかなとき、私の住む官舎の向かいの家に平田さんという九州出身のクリスチャンの中年の婦人が住んでいました。彼女は中学三年の私にたくさん本を貸してくれました。その中に賀川豊彦の伝記がありました。全部読んだわけではないのですが心に残ったのです。
 昭和21年5月末、平壌在住の日本人に帰国の許可が出て、無蓋車(屋根のない貨車)で国境まで運ばれ、38度線を徒歩で渡り、一週間かかって南朝鮮に京城に到着、更に二週間の滞在の後日本への帰国許可。南朝鮮の仁川港から出港、玄界灘を渡り博多に到着、父の実家、新潟県葛塚町黒山に着いたのは、平壌を出てちょうど一ヶ月後でした。母は私を連れて新発田中学校に行き編入手続きをし、昭和21年7月2日より、私は中学三年として通学を開始しました。私の新発田町の親戚の奥二階での間借り生活。まもなく五軒先の貸本屋に賀川豊彦の本があるのを見つけました。早速「一粒の麦」という本を借りて読んだ。ものすごい感動だった。

続く