こんにちは、お元気ですか。
今日はマルコ9章42節―48節までお読みします。
9:42 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。
9:43 もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。
9:45 もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。
9:47 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。
9:48 地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

日本では昔から地獄に仏と言う諺があります。非常に困ったときに思がけない助けに出会うことをたとえて使われますが、しかし、他の意味にとらえている人も少なくないでしょう。つまり、実際に地獄に行ったとしても、そこで救われるチャンスがあると考えている人が結構いるのでは?とわたしは推測していますが、どうでしょうか。
今日、読んだイエス・キリストのことばによれば、地獄は本物です。空想の世界ではありません。このことば、一つは警告という意味もあります。もっと大事な意味は、罪を犯すことの重大さではないでしょうか。罪の報酬は死であると聖書は教えています。肉体的な死、たとえば国家の法律に基づいて行われる死刑を指しているのではありません。地獄に行くという永遠の死を指しているのです。
中世のキリスト教の世界では、今日、読んだ聖句を言葉どおりに目をえぐり出してしまった人たちがいましたが、これは間違いです。目をえぐり出しても心で罪を犯せるからです。本当の意味は、目をえぐり出すほどの覚悟で罪を止めなさいと言っているのです。
創造主なる神は罪を憎んで人を憎まない方です。わたしたちが罪を犯して苦しんでいるのを見て、神も苦しみ悲しんでおられるのです。そのために父なる神は、わたしたちを罪から救うために一人子である方をイエス・キリストとして生まれさせたのです。わたしたちの罪を赦すためにこの方を身代わりとして地獄に送ったとも言えるでしょう。
あなたは、このイエス・キリストを信じますか。どうか信じて下さい。あなたを愛で包んでくださるでしょう。
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