こんにちは、お元気ですか。
今日はマルコの福音書9章33節―37節からお読みします。
9:33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
9:34 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。
9:35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
9:36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
9:37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

1世紀のローマ帝国時代では、子供の社会的な身分は非常に低いものでした。この時代には奴隷もいましたが、奴隷よりも身分は下でした。今では考えられないですね。女の子であれば、産んだばかりの子供を捨てることは珍しいことでありませんでした。そんな時代に弟子たちは、相も変わらず「誰が一番偉いか」と議論していたのです。21世紀に生きているわたしたちも同じですね。科学技術はいろいろ進歩しますが、人間自体は進歩がありません。
ところが、イエス・キリストは弟子たちのこの議論に割って入って、人々に仕える人が神によって喜ばれる人であるというのです。さらに身分の低い子供を受け入れなさいというのです。子供をかわいがるのは、わたしたち現代人にとっては珍しいことではありませんね。しかし、1世紀の時代にはイエス・キリストのことばは奇想天外な言葉であったのです。イエス・キリストは、他の福音書で子供のようになりなさいとも言っているのです。つまり、神の御前で尊ばれる者になりたければ、子供のようにへりくだりなさいとわたしたちに命令しています。
神の御言葉を必要と感じる人は、自然とへりくだるのです。神の子供として御言葉から学ぶのです。イエス・キリストが教えるように、神に仕え人々に仕える人になりましょう。
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