こんにちは。
今日は感謝することについて考えてみましょう。感謝はどんな文化、慣習、あるいは宗教であっても、勧められる態度ではないでしょうか。自分の今の状況に感謝することって大切ですね。親に感謝します。会社に感謝します。友人に感謝します。実はキリスト教も感謝の気持ちを持ちなさいと教えています。その聖句を読んでみましょう。ピリピの手紙4章6節―7節からです。

4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
クリスチャンはただ単に感謝の気持ちをもつのではありません。感謝の気持ちを込めて、神様に祈るのです。委ねる気持ちをもって祈るのです。神様にお任せする祈りをするのです。そうすれば平安が与えられると約束されています。
しかし、この感謝の気持ちを忘れてしまったらどうなるのでしょうか。不平不満を言っていたらどうでしょうか。周りの人はあまり近づけません。近づきたくはないかもしれません。このような人は自暴自棄になってしまって自分を責め、また周囲の人たちを責めるのです。
ある人は「金と暇があれば誰も不平不満なんか言わないよ」と言うでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。お金も時間もいくらあっても足りないものです。
この聖句を書いたパウロは、ピリピの手紙を書いた時には、牢屋に入れられていました。人間的な目から見れば、感謝なんか到底出来ない状況ですね。しかし、感謝して祈りなさいと教えています。パウロは、感謝して祈り、神様が与えてくださる平安を経験したのです。だからこのように励ましの言葉を書けたのです。
わたしたちも同様に感謝の気持ちを込めて祈る必要があります。あなたも感謝も気持ちを忘れずに祈って下さい。
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それは一体どうしてなんだろう?と考えると、
私の場合、自分の罪深さに、自分でもどうしようもなくて、「え?こんな私に?どうして?こんなにまでしてくれるの?」と思ってしまいます。「本当にいいの?私なんかに?」とか、他人に親切にしてもらっても、いつ頃からなのか、それにすら鈍感になってしまいます。思い煩い過ぎて、自分しか見えなくなって、自己中心的な自分に気付かされ「はっ」 とします。困ったものです...。そうです、「放蕩息子」な私は、神様に愛されている、ということを確信し、何よりも神様に感謝し、思い煩うことを捨て(私にとって結構大変なことなんですが)、恥ずかしがらずに、素直に心を開くべきだと、聖書を通して、周りの方々を通して、気付かされました。