こんにちは、野々垣正信です。
クリスチャンのなかには有名な人たちがいます。写真つきで紹介されたりする人たちです。しかし、神様の御心を日々求め奉仕している名もないクリスチャンが大勢います。今日はそんな人たちについて考えてみましょう。
ヨハネ6章14節からお読みします。
6:14 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
6:15 そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。
6:16 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。
6:17 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。
6:18 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
6:19 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
6:20 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
6:21 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
6:22 ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
6:23 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。
6:24 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
6:25 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
6:26 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
6:27 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
6:28 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。
6:29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

ヨハネは主イエス様の道を整えるために遣わされた人です。ヨハネは正しいことを言ったがために牢屋に入れられ、最後は首を切られ殺されます。悲しい人生と考える人もいるでしょうね。しかし、ヨハネは神様から与えられた責任を全うして人生を終えたのです。神様の御心にかなった人生を送ったのです。
長生きすることが、幸せとは限りません。人生の辛苦をなめ尽くして辛い長い人生を送っている人は大勢いるのです。幸せな人生とはどんなものでしょうか。何でも自分の思い通りになる人生でしょうか。そうではないですね。大体、何でも自分の思い通りに成る人生などないからです。神様の御心を行うことこそ、幸せな人生なのです。人が見ているのは、クリスチャンとして有名になったり名誉を得たりすることです。しかし、神様はそのようなものは見ないです。人が見ていないところを神様は見ているのです。
ヨハネは首を切られ死にました。主イエス様は十字架というむごい殺され方をされて死にました。どちらも人間的な目からすれば悲しい人生です。しかし、これが最高の人生だったのです。神様に祝される人生だったのです。わたしたちのためにお手本を残してくれました。わたしたちの罪のために、わたしたちが罪のために死なないように、イエス様は十字架で死んでくださったのです。わたしたちは、自分の罪のために死ぬ必要はありません。イエス様が十字架でわたしたちの身代わりになって死んでくださったからです。その代わり、神様は十字架を通して、「神様の僕として仕える人生を送りなさい」とわたしたちに言っているのです。
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