御元気ですか。
断食はそもそも何のためにやるのでしょうか。昨日はあまり詳しく説明しませんでしたので、今日ちょっと補足説明します。
キリスト教以外の宗教にも断食という慣習はありますが、その人たちは何のために断食をするのでしょうか。わたしには修行という意味合いが強いと思いますが、どうなんでしょうか。ではキリストは何と言っているのか読んでみましょう。マタイ6章16節からお読みします。
断食は人に見せたり公にするものではないのがわかります。主なる神との関係において密かに行われるものです。誰にも言う必要もありません。また断食したから悟を得られると考えるのも間違いです。悟りと知恵はイエス・キリストにあるのです。わたしたちの肉体をいじめたからといって得られるものではありません。では断食は何のためにするのでしょうか。ユダヤ人のように時が来たら習慣的に行うものでもありません。断食をする時には、心は静かに神に向かっているのです。自分のために行っているのでありません。自分の罪や汚い心をさらけ出す悔い改めの時間です。習慣的な断食をしていたユダヤ人たちに神は次のようなことばを言います。ゼカリヤ7章1節からお読みします。
断食は、わたしたちが神から頂いている食事を断つ行為です。神の恵みなしには生きていけないと改めて認識する時でもあります。心から謙る時です。だから余計に素直に祈れるのです。もしあなたが断食を自分の修行のためとか、自分の霊的な成長のためにしていると考えていたら、その考えは改めてください。断食自体は成長させません。成長させるのは神ご自身です。神はわたしたちの心、動機すべてをお見通しです。だからこそすべてを洗いざらし神に心を打ち明けるのです。断食は自分がどれほど神に頼っているかを知る時です。また罪を告白をして信仰を告白する時でもあるのです。主イエス・キリストの教えを心から受け入れましょう。
この記事にはトラックバック・コメントがありません。
コメントは投稿者の責任においてなされるものであり、サイト管理者は責任を負いません。