御元気ですか。
今日はマルコ1章35節―39節まで読んでみましょう。
1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。
1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、
1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。
1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

イエス・キリストは祈りの人です。なぜ祈るのでしょうか。もしイエス・キリストが完全に天地万物を創造された神であるのなら、なぜ祈る必要があるのでしょうか。もしすべてを支配している神であるのなら、祈る必要はないと考える人もいるでしょう。
イエス・キリストは父なる神の一人子です。天地万物が創造される前から父なる神とごいっしょにいらした方です。さらにこの方によってすべてが創造されたのです。聖書に書かれているとおりです。しかし、この方がわたしたちと同じように弱い人間の体をもって、人間として生まれ、またわたしたちと同じように人間の弱さをもって生きたのです。
これが祈りが必要な理由です。人間の弱さ、あるいは弱さからくる誘惑に打ち勝つために、イエス・キリストは父なる神に祈る必要があったのです。父なる神の御心を行うために力を頂いたのです。
イエス・キリストはすべて罪深い人間たちをその場で地獄に追いやる力もあったのですが、それは神の御心ではありません。では神の御心とは何でしょうか。すべての人間は神の支配の下にあって、神に立ち返りなさいという、神の御国を宣教するためにイエス・キリストはわたしたち人間のもとに来たのです。すべての人間が悔い改めて神のしもべになるようにと、そのお手本を示すためにもイエス・キリストは自らすすんで十字架にかけられ死んだのです。わたしたちの罪悪はこのイエス・キリストの十字架によって洗い流されたのです。イエス・キリストを信じる者にとって恐ろしいものはこの世にありません。なぜでしょうか。イエス・キリストがわたしたちと共にいるからです。イエス・キリストを心から信じましょう。
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