殺伐とした世の中であるとは誰も感じているでしょう。ただ単に不景気になって、会社をくびになった、仕事がない、就職先が見つからないといった経済的な話ではありません。毎週のように起きる殺人事件、日本のどこかで毎週、人が殺されているのです。計画的犯罪であったり、また車のひき逃げであったり、まわりを見回すといい話はありません。何でこんな世の中になってしまったのでしょうか。歴史は繰り返されるとよく言いますが、このような悪の世の中は今に始まったことではありません。そんな人間の歴史をかえりみると、・・・・・・
そんな人間の歴史をかえりみると、人の本性に関する考察が古今東西で行われてきたのに気づきます。その一つの考え方に、性善説があります。(せいぜんせつ)とは、人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念です。同時に、性悪説があります。性悪説(せいあくせつ)とは、「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」という主張です。どちらが正しいのでしょうか。この質問に聖書は答えています。
ローマの手紙7章の一部分を読んでみましょう。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 ・・・・ 7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
悪いとはわかっていても、ついついやってしまったということはないでしょうか。体には悪いとはわかっていても、飲みすぎてしまった、食べ過ぎてしまったような場合もありますね。実際の生活では、もっと多くの事例があります。たとえば怒ったり、怒鳴ったりするのは心の健康に悪いです。でも、分かっていてもやってしまうものです。善悪を知っていてもやってしまう人間、憐れだと思いませんか。わたしたち、一人一人がこの人間の性、罪を心に持っているのです。
あなたは自分の罪に気づいていますか。罪に気づかなければ神様の恵みを感じることは出きません。自分がどれほど罪深い人間か、知った時、初めてイエス様の愛、教えが心にしみわたるのです。イエス様を受け入れましょう。
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